ナチスと書体について その1

日本では時々「Futuraはナチスの書体」と考えている人がいるようです。

知り合いのデザイナーから聞かれる事もたまにありますし、出版物に書かれてある場合もあります。出版物で私の知るところでは朗文堂から出ている『書物と活字』のあとがきや『ふたりのチヒョルト』の中にこの説を裏付けるような文が書かれてあります。

例えば『ふたりのチヒョルト』の346ページには「フトゥーラ活字はナチの教育・宣伝に使われたためにその使用にはドイツではいまなおためらいがみられる」とあります。

以前別の記事にも書いたのですが、結論から言うと Futura は当時も今も人気の書体で、ヨーロッパでは広く一般的に使われています。現在私の住むドイツでも頻繁に見かけます。「Futura がナチスを思い出させる書体」という事実はありません。

それどころか、数年前 Futura がドイツの政党のロゴに使われ過ぎているという記事(文はドイツ語ですが、ロゴの画像が見れます)まで書かれた程です。ナチスの過去に非常に敏感なドイツで、もし「Futura がナチスを思い出させる」という事実があれば、たとえ天と地がひっくり返ったとしても政党のロゴに使われる事は無いでしょう。以下の画像は左翼党 Die Linke のロゴです。Futura Condensed Extra Bold Oblique が使われています。(極右ならまだしも、左翼党ですよ!)

 

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また私はロンドンで働いていた時にユダヤ系の作家や芸術家と仕事をする機会が多々あったのですが、もちろん彼らが Futura を見てナチスを連想する事はありませんでしたし、Ludwig Wittgenstein や Stefan Zweig、Mela Hartwig 等ユダヤ系哲学者・作家関連の印刷物のデザインに Futura を使っても問題になることはありませんでした。写真は Mela Hartwig の著書の英訳版出版記念イベントの招待状です。

 

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さてヨーロッパのデザイナーに話すとびっくりされるこの「Futuraナチス説」、だんだん下火になってきているようですが、なぜこんな話が広まり一部の人たちに真実であるかのように信じられてしまったのか、私なりに考えてみました。というのも、ここドイツでは「ナチスの書体」と聞くと思い浮かべるのは実は全く違う書体なのです。

それは「ブラックレター体のサンセリフ」と分類できる書体で、ドイツ語ではゲブロッホネ・グロテスク(Gebrochene Grotesk)と呼ばれます。耳慣れないドイツ名では覚えにくいと思うので、ここでは「サンセリフ・ブラックレター体」と呼ぶことにします。画像はサンセリフ・ブラックレターの代表的な書体、タネンベルグ(Tannenberg)です。

 

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Futura を初めとするローマン体のサンセリフが「新しい時代の書体」と脚光を浴びた20世紀初期、ドイツではこういったブラックレター体のサンセリフ・バージョンも沢山生み出されていました。以下の画像は上から順にローマン体、サンセリフ・ローマン体、ブラックレター体、サンセリフ・ブラックレター体の代表的な書体です。

 

walbaum

futura

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これらサンセリフ・ブラックレター体は1910年代から30年代にかけてデザインされ、ナチス党が台頭していた30年代にポスターやチラシの見出し書体として、また町中では看板やサインなど非常によく使われました。

例えば私が最近まで住んでいたベルリンの市内電車Sバーン。ちょうど1920年代から運行が開始されたSバーンの駅では当時の古いサインがそのまま残っていることがあり、サンセリフ・ブラックレター体が使われた駅名を見かける事が度々あります。特に旧東地区では地下のSバーンが閉鎖され、その後東西統一まで駅が手をつけられずに残っていたので、かなりの頻度でサンセリフ・ブラックレター体の駅名を見かけます。

 

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しかしながら戦後はサンセリフ・セリフを問わずブラックレター体そのものが古い時代の象徴と見なされ、新聞のロゴやパッケージデザイン等の例外を除くとほとんど使われることがなくなったため、一気に姿を消します。

つまりサンセリフ・ブラックレター体はナチスの台頭していた時期とほぼ重なる20世紀前半の非常に短い期間のみ出回っていた書体なので、どうもこの時代を象徴するイメージがついてまわるようです。主に見出し用書体であったため、本を日常的に読まない階級の人々であっても目につく看板やポスター、サイン計画などに使われたことも印象に残る理由でしょう。もちろんナチスのプロパガンダのポスター等にも頻繁に使われた為、ドイツ語圏ではこれらの書体は別名「軍隊靴サンセリフ」(Schaftstiefelgrotesk)と呼ばれており、実はこの名前の方が Gebrochene Grotesk という正式名よりも一般的なくらいです。

私の推測ですが日本で聞く「Futuraナチス説」は、このサンセリフ・ブラックレター体に対するドイツ人の印象を誰かから聞いた人が、同時代にデザインされた Futura と混乱して話しを創作してしまったのかな、と思います。Futura は日本でも名前が知られている欧文書体のひとつですし、センセーショナルな内容で「お話し」として面白いので広まってしまったのかもしれません。

さてこのサンセリフ・ブラックレター体、戦後はほとんど使われる事は無くなった、と書きましたが、実は最近ぽちぽち見かけるようになりました。例えばベルリンにある有名な劇場 Volksbühne が今年秋から上記のタネンベルグを含む多数のブラックレター体を大胆に使ったデザインを発表し話題を呼んでいます。この書体のショッキングなイメージを敢えて逆手にとってのキャンペーンのようで、賛否両論耳にします。(もっと詳しく知りたい方は友人 Florian Hardwig によるこの記事をどうぞ。英語です。写真 © Florian Hardwig)

 

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また写真を取り忘れたのですが、ベルリンSバーンの Bornholmer Straße 駅の新しいサインにも使われているのを最近見かけました。

もっと身近な例ではドイツ薬局のサインがあります。薬局はドイツ語で Apotheke というのですが、その頭文字 A にサンセリフ・ブラックレター体を使ったデザインはもともと30年代に作られ、現在までほとんど変わらず使われています。(当初は A の中にあるのは蛇のマークではなくクロスでしたが。)

 

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他にもビールのラベル等パッケージデザインを探せばサンセリフ・ブラックレター体の使用例は色々あると思います。(見つけたらまた画像をアップします。)

長くなりましたが何が言いたいかというと、タイポグラフィは言葉と切り離せないもので、同じ書体であっても「ドイツに勝利を!」と書かれてあれば、ひえ〜とドイツ人の鳥肌を立たせる事ができても、「薬局」とか「ビール」とか、全く関係がない言葉・コンテクストであれば皆さん全くもって気がつかないのです。

デザイナーや歴史家でも無い限り、皆さん書体を意識して見ているわけではありませんし、一般の人はセリフ体、サンセリフ体、ブラックレター体くらいの見分けはついて、ブラックレター体に「ドイツ的・伝統的」なイメージはあっても、それ以上の深読みをする人はほとんどいません。

つまりサンセリフ・ブラックレター体のような特別に複雑な背景がある書体であっても、上記のような文脈(第二次世界大戦中を思わせるような言葉・文)でない限り「この書体は何が何でも絶対使っちゃダメ」ということは無い、ということです。

次回の「ナチスと書体 その2」では、ドイツとブラックレター体の関係についてもう少し掘り下げて書いてみようと思っています。

 
麥倉聖子 Twitterアカウント
 

2 thoughts on “ナチスと書体について その1

  1. Sunan Okura

    こんにちは。
    記事に興味を持ったのでコメントさせていただきました。
    私は現在大学でドイツ史を専攻している者です。大学の授業で文字に興味をもってから、ドイツの独自文字であるブラックレター体について少し調べていたところです。そこでこのページを見つけました。まだ調べ始めたばかりで知識が浅く、文中であったようにサンセリフやブラックレター体などの違いを知りませんでした。現在ドイツに留学中なので多くのブラックレター体・サンセリフを見かけます。薬局のマークがそれと知って驚きました。書体に関しては論文等探してもなかなか見つからないので調べることが難しいですが、書体を学んで自分の研究に活かせるといいと思っています。
    質問なのですが、FrakturとFutaraの違いはなんでしょうか。また論文検索でFrakturはほとんど音楽関係でしか記事や論文が見つかりません。これはなぜなのでしょう。
    長々とすみません。コメントの仕方も分からないので、ここまでにさせていただきます。

  2. Florian Hardwig

    The German pharmacy symbol is based on a design by Ernst Paul Weise. It won a competition held by Reichsapothekenführer Albert Schmierer in 1936 in order to replace the modernist Drei-Löffel-Symbol (‘3 spoons’, 1929) by Bauhaus-inspired graphic artist Rudolf Weber, whose work was defamed by the Nazis as ‘degenerate’. Ironically, Paul Weise soon after was banned from his profession, too, as his wife was Jewish.

    The white cross in Weise’s original design was replaced with the Man rune. As every German pharmacy owner was provided with a gratuitous aluminium sign in 1936, it is no wonder that this new symbol instantly gained wide acceptance.

    After the end of the Third Reich, the rune was banned and hence painted over, but the red blackletter A remained. In 1951, it was agreed to fill the void with the Bowl of Hygieia, the symbol of the Handelsgesellschaft Deutscher Apotheker (Hageda). This adaptation was carried out by Fritz Rupprecht Mathieu.

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