ユニバーサル・アルファベットがドイツで生まれた背景

 

バウハウスのハーバート・バイヤー等による「ユニバーサル・アルファベット」という表記法と書体デザインの実験的な試みをご存知ですか?デザイン科の学生ならば一度は目にしたことがあるかと思います。
(Image © Bauhaus Archiv, Berlin)

 

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ユニバーサル・アルファベットは「大文字・小文字を無くし、表記法の効率化を求めたデザイン運動」と説明される事が多いようです。これは大まかに言えば正しいのですが、この実験的試みがドイツで繰り広げられた事については、なるほど!と納得できる理由があります。

と言うのもドイツ語圏では1940年頃まで二種類の書体、ブラックレター体とローマン体とが共存し用途により使い分けられていました。ローマン体は大雑把にいうと現代の私たちの見慣れた欧文のアルファベットです。ギャラモンドやタイムス、ボドニも全てローマン体です。ブラックレター体は、印刷物では今や新聞のロゴくらいでしかなかなか見かけることがありません。ちなみに「ブラックレター体」「ローマン体」とは英語圏で使われる用語で、ドイツ語圏ではそれぞれ「ゲブロッホネ・シュリフト(Gebrochene Schrift)」「アンティクア(Antiqua)」と呼ばれます。

ドイツ語圏で使われていたブラックレター体の代表的な例が Fraktur (英語読みではフラクチュア、ドイツ語読みではフラクトゥールでしょうか。以下フラクトゥールとします)です。写真はフラクトゥールで組まれている19世紀のプロテスタント聖書です。

 

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見慣れていないと、非常に古臭く仰々しく見えるフラクトゥールですが、戦前まではドイツ語で書かれた書籍の多くはごく一般的にフラクトゥールで組まれていました。本文中にラテン語やフランス語、英語などの外国語が出てきた場合、その部分がローマン体で組まれることもよくありました。以下の写真はたまたま夫の実家で見つけた1927年に出版された生物辞典です。全体的にフラクトゥールで組まれているのですが、括弧の中の動物のラテン語名の部分はローマン体で組まれています。(余談ですが、語源の違いが視覚化されているというのが日本語のカタカナに似ているので、ドイツ人に日本語表記を説明する時、私はいつもフラクトゥールの例を使います。)

 

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フラクトゥールを初めとするブラックレター体はドイツ語圏の人々にとって「自分たちの文字」「ドイツ語の文字」という認識があり、ドイツ語の文章がローマン体で組まれているのを見ることに違和感を感じる人もいたようです。ビスマルクが「ワシはローマン体で記されているドイツの本は読まん!」と言った逸話は有名です。

その一方で、ラテン語やフランス語を始めとする外国語の本、つまりローマン体で組まれている本を日常的に読むようなインテリの中にはフラクトゥールを好まない人達もいました。ゲーテやニーチェがローマン体を好んだ事は知られていますし、グリム兄弟はフラクトゥールを「醜い」とまで呼んだ上、他国の人々にとって読みにくいのでドイツ語の本が広く読まれない原因になるのではと懸念したそうです。ローマン体は一般的には「外国語の文字」「アカデミック」「洗練されている」「科学」「冷たい」等といったイメージを持たれていたようです。

ブラックレター体・ローマン体という二種類の書体に加えさらにややこしいのが、なんと筆記体も二種類、それぞれブラックレターに呼応するものとローマン体に呼応するものがあったのです。ローマン体の筆記体は、私達もある程度は見慣れたいわゆるラテン文字の筆記体(もしくはラウンドハンドと呼ばれる)です。筆記体は実は国によって微妙に違うのですが、大方は似ています。

癖のないローマン体の筆記体だとある程度スムーズに読むことができます。けれどもブラックレターに呼応する筆記体は習わないと全く読めません!写真は義祖母の手書き文字ですが、一見ローマン体の筆記体と似ているようでいて、いざ読もうとすると、何だこりゃって感じです。

 

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「クレント(Kurrant)」と呼ばれるこの筆記体は、戦前まではごく日常的に使われていたのですが、戦後に小学校に通った世代は全く使っていないそうです。私の義母は小学校で少しだけ習ったので、読む事はある程度は出来るけれど書く事は出来ないそうです。義父の通った小学校では全く教えてなかったそうで、読むのも書くのも難しいとのこと。夫の世代(30代半ば)は基本的に一切習っていないようです。この筆記体についてもまたの機会に詳しく書きたいと思っています。

さて、そういうわけで戦前ドイツの子供は学校でブラックレター体とローマン体両方の大文字小文字に加え、ローマン体筆記体とカラント筆記体の大文字小文字の合計8種の文字を習っていました。以下の本の見開きには、これら8種の文字が全て載っています。
(“A. B. C. oder Buchstabir und Lesebüchlein zum Gebrauche der Nationalschulen in dem Königreiche Ungarn.” Budapest, 1832. Image © Florian Hardwig, flickr.com/hardwig)

 

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つまりユニバーサル・アルファベットが生まれた1920年代ドイツでは近隣のフランスやイギリスと比べ倍の数の文字を扱っていたのです。それ故に「なぜひとつの音を表すのに何種もの表記方法が要るのか?」という問いが他の国に比べ切実に感じられたのでしょう。

漢字・ひらがな・カタカナと3種類の文字を使う日本でやはり同じ1920年代に、カタカナのみの横書き表記が試みられました。ユニバーサル・アルファベットも、カナモジカイのカタカナ表記も一般的に定着することはありませんでしたが、近代化を急ぐドイツと日本で似通った試みが同時期に進行していたことは非常に興味深いです。

 

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